時々旅人やじま〜るのふるさと納税日記

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庶民がセレブ生活を体験する記録。

【旅日記】札幌・網走⑦〜リスの森で美味しいジェラート&恐怖の一人監獄〜

昨日お話したとおり、今まで一緒に旅していた、クーさん(旦那)は仕事のため先に帰りました。ここからは一人旅。ワクワクドキドキです!レンタカーでクーさんを女満別空港に送り届けたところから始まります。

本場イタリア仕立てのジェラートが食べれる「リスの森」

まず最初に立ち寄ったのが、本場のジェラートが食べれるお店「リスの森」です。空港と網走市内の間の道沿いの呼人地区にあります。クーさんを空港に送り届ける時に「ここのジェラート屋、食べログとかでも評価すごく良かったんだよね〜」と教えてくれました。その時は「ふ〜ん」ぐらいだったのですが、じわじわ「寄らないと後悔しそう(;_;)」と思い始め(笑)、立ち寄ることにしました。こんな感じの外観です。

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流氷味のジェラート?!

お店はそんなに大きくないのですが、中にイートインスペースもあります。さっそくジェラートを注文します。

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 って、「流氷ってなんだ?!」と興味をそそられます。説明には「あっさりしたソーダのような味。網走に流氷が訪れる時期にしか出ない限定フレーバー」と。こりゃ食べるしかない!!と思ったのですが、この時甘ったるいものが食べたくて仕方なかったので、隣の「カラメッロ」とダブルにして注文しました。

 

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ボリューミー!色もとってもきれい!あっさりシャーベットのような味をイメージしていましたが、全然違います。流氷もカラメッロも、それぞれの味がするのですが、後味に牛乳の甘さがあり、本当に美味しい。さっぱりしているのに、濃厚!バニラアイスとシャーベットの間のような、新感覚です(他のジェラート食べたことないから分からないけど…^_^;)。外は寒いので、車の中でゆっくり食べました。

ジェラートが美味しい理由

ジェラートはその約60%が牛乳なんだそうです。なので、牛乳の質で味がかなり左右されるそうです。ここリスの森では、地元の酪農家による網走産の牛乳を100%使用しているので、この濃厚さとコクが出せるのだそうです。また、ジェラートの種類ですが、なんと全部で60種類もあるそうです!!!定番の味の他に、かぼちゃ、ろうもろこし、メロンなどの北海道特有のものや、さくら、モヒートなどの変わったものもありました。季節限定の商品が多く、行くたびに違う種類のジェラートが味わえるのもいいですね。お取り寄せもあるようなので、是非チェックしてみてください。

楽天だと「海鮮蟹工房」というショップで扱っていました。ここのお店、他にも北海道の海産物やグルメなどたくさん扱っています。是非どうぞ〜。

 

網走に来たなら行っておきたい、網走監獄

そう、ここに行っておきたくて旅を延長したようなもの(笑)。ジェラートを食べた後、天都山中腹にある網走監獄へ行きました。オホーツク流氷館に行く途中です。ただ今16:00。17:00に閉まってしまうので、急ぎます。

 

が、結論から言うと…怖すぎてじっくり見れず、よくわからないまま終わりました(~O~;)平日の人が少ない時間に、一人で行くもんじゃないですね。それに、ほとんどが外なので、めちゃくちゃ寒い。こんなことなら、しっかり防寒対策をしておくべきでした。リサーチ不足を反省しました。冬に行く方、防寒必須です!!

なので、いい感じに撮れた写真に、事後学習での知識を織り交ぜ紹介します(笑)。

そもそも網走監獄とは

日本各地で囚人が急増

明治の始め、天皇制に変わり国中が大きく揺れ動いていました。その際、各地で反乱が起こり囚人が急増。その数は9万人近くになり、日本各地で囚人を収容できなくなってしまいました。

また、当時ほとんど開拓がされていなかった北海道には、ロシアの勢力が迫っていました。日本を守るためにも、大至急北海道を開拓しなければならない、しかし、国の財政に余裕はない…。そこで考えられたのが、「囚人を労働力として使う」ということです。

囚人による北海道の開拓、過酷な労働条件

その後どんどん北海道に刑務所が作られます。そして明治23年(1890年)、1200人もの囚人が送り込まれ、旭川とオホーツク沿岸を結ぶ中央道路を作る工事が始まりました。昼夜問わず進められる工事は、とても過酷なものでした。逃亡を防ぐため、二人ずつ鉄の鎖で繋がれていました。工事が山中に進むに連れ、食料調達が上手くできません。そのため、栄養失調になる囚人が多く、また極寒でも毛布1枚しか与えられないこともありました。けが人や死者もたくさん出ました。あまりの苦痛に耐えられず逃亡するも、食料がなく結局戻ってくるしかない。それが見つかるとその場で殺されたそうです。

今の北海道があるのは、尊い犠牲の上なりたっているのです。その後、「囚人は果たして二重の刑罰を課されるべきか」と国会で話し合われ、明治27年(1894年)に廃止されました。

その後、監獄の建造物を移築復元・再現し、昭和58年(1983年)に野外博物館として開館しました。2016年2月には国の重要文化財にも認定されています。

 

正門:通称「赤レンガ門」

これが網走刑務所の正門です。「最果ての監獄」として恐れらていた網走刑務所の威厳が感じられます。こちらをくぐり、見学が始まりました。

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網走刑務所裏門:通称「通用門」

受刑者がこつこつレンガを積み上げ作ったこちらの門。受刑者が塀の外の作業場(農場や養豚場)に出かけるために通る門であるため、受刑者にとっては、開放感を味わえる門でもあったそうです。

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庁舎、中央見張所

こちらはよくパンフレットなどで見る、放射線状に5つの庁舎伸びている建物です。建物内は薄暗く、薄気味悪。そしていきなり人が現れる…。

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 独立型独居房

社会性が養われる雑居が重視されるようになり、次第に使われなくなったそうです。

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浴場

受刑者にとって楽しみの一つだったのが入浴です。しかし、一度に入る人数は15人と決められており、看守の号令のもと、脱衣3分、入浴3分、洗身3分、上がり湯の入浴3分、着衣3分、と15分間で効率よく入浴しなければなりませんでした。当時は入浴は「月に数回」と決められていたそうです。

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ふぅ〜。と、小走りで見学したので、まともに撮った写真がこれだけなんです(^_^;)それくらい、怖くてあの場にいられなかった。でも、帰ってきて勉強し直して、改めて刑務所での生活の過酷さを感じました。そして、私はこの翌日、網走から札幌にバスで行くことになるのですが、その時に通ったのが、まさに網走の囚人たちによって作られた中央道路だったのです。あれだけの長い山道を昼夜問わず作っていたなんて、想像が着つきません。

次はもっと温かい季節に、誰かひき連れて行きたいです!

 

網走監獄から夕日を見る

小走りで見学したのにはもう一つ理由が。それは夕日を見るため。雲一つない快晴の一日だった今日、今日しか夕日は見れない!絶対に夕日を写真に収めたかった。16:00から見学し始め、最後の浴場に来たのが16:30。あたりも薄暗くなり、オレンジ色の光が見えます。もしかして…と浴場の裏にまわると夕日が見えました!この網走監獄は天都山の中腹なので、きっと夕日が見えるはず!とふんでおりました。

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こちらは、第二駐車場からの夕日です。夕方監獄に来られた際は、是非夕日もチェックしてみてください。

 

しかし!この後、もっともっとオススメな夕日スポットを発見しました。その様子と、網走の夜について、明日投稿出来たらと思っています!